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飛騨古川・アブラムの宿・飛騨高山

2004年5月4日5日

 ジジババまで含んだ家族旅行第二段はセネガルから一時帰国しての旅行。去年は長男しかいませんでしたが、今回は3月にダカールで生まれた次男も一緒です。ゴールデンウィークですが、一泊旅行に出かけました。乾いたセネガルから来ると、日本の新緑のなんとみずみずしいこと!空気のしっとりしていること。

飛騨古川の川の鯉

 まずは東海北陸自動車道を使い、郡上八幡インターまで。郡上八幡は20年近く前に白鳥の方へスキーに行ったとき、友人の家に立ち寄ったことがありますが、今回は素通り。東海北陸自動車道は途中から片側一車線ですが、郡上八幡までの片側二車線化は工事が進められている様子です。

 ゴールデンウィークですが、特段の渋滞もなく、高速を降りたらせせらぎ街道を進み、飛騨古川へ向かいます。途中道の駅で休憩。良い施設ができていますねえ。

 雨が降るあいにくの天気で最初は古川はパスしてこの晩の宿、アブラムの宿へ直行しようかと思ったのですが、古川の近くに来ると小降りになったので、急きょ飛騨古川へと向かいます。

 飛騨古川は古い町並みの残る趣のある町ですが、お目当ては実は町並みではありません。

 一番見たかったのは鯉!なんです。長男は生き物が大好き。中でもお魚が大好き。池に魚がいようものならなかなか動こうとしません。そこで飛騨古川で有名な川の鯉を見せてあげようと思ったわけです。子どもができると、中心はやっぱり子どもになっちゃうんですねえ。


アブラム物語

 地酒を造っている造り酒屋やみやげ物店の多い街中をしばし散策の後、アブラムの宿へ向かいます。アブラムの宿というのは、キリスト教の牧師さんである大郷博先生が休職して始めた宿です。場所は岐阜県国府町。宇津江四十八滝というこの辺りでは有名な県立公園のすぐ近くにあります。大郷先生が町から土地を買い取り、山の斜面を開拓し、古い民家を移築して始めた宿です。そうした経緯などは大郷先生の著書『 アブラム物語』を参照ください。

 実は大郷先生とは学生時代にボランティア関係で出会って以来の再開。20年以上も前に会ったきりでした。お互いに頭に白いものが混じる年齢になってしまいましたが。

 さてアブラムの宿は、この地に移築された飛騨地方独特の古い民家二棟からなっています。なんでも移築の時に分解した棟書きによると、その内の一棟は赤穂浪士討ち入りの翌年に建てられたものだとか。今はもちろん古い農家の柱や梁など枠組みを生かしながら、二重窓を入れたり、風呂をつけたり、広いホールを作ったりと、かなりモダンなつくりになっています。

 右側がその一棟の内側ですが、直線の梁や柱がむき出しになったところに丸い照明、そして床はフラットに間仕切りも外して広いホール空間が確保されています。この部屋の音響効果がまた素敵なんです。大郷先生がかけてくださったのはインドラ・グルンというネパール人が吹くバンスリ(竹笛)のCDでしたが、うっとりでした。ここでは時折コンサートなども開かれるそうです。

 ここでの食事は、宿泊客が一同に介し、大郷先生も混じって大きな一枚板のテーブルで食べます。宿のご主人も、いろいろなお客様も混じって交流するのがここのスタイル。プライバシー重視で自分たちだけで静かに過ごしたい人たち向けの施設ではありません。

 周辺には畑や田んぼ、そしてシイタケの栽培までしていますし、この時期は山菜の取れるシーズン。早速ワラビを宿の周りで摘んできました。

 この晩は大郷先生や、他のお客さんと話しこみ、大郷先生が提供された泡盛まで出てきて、深夜まで過ごしてしまいました。

 翌朝さすがに標高600メートルを超える山の中は冷え込みますが、空気はさわやか。みんなでシイタケの収穫をしてから左の写真)近くにある宇津江四十八滝に散策に出かけます。宿から歩いて10分ほどでしょうか。でも四十八滝は、その名の通り滝が連続している渓谷で、標高差は400メートルあるそうです。2歳児の足では無理だったので、ちょっと大きめの滝があるところから引き返してきました。

 その間、大郷先生は、蕎麦をうってくださいました。大郷先生の蕎麦は、白川郷に毎週片道1時間かけて修行に通って身につけたもの。使われている蕎麦粉も白川郷で取れた高級品。中国産の10倍も高い粉です。昼食にご馳走になったその蕎麦の味は、いや驚きました。「これが蕎麦だったのか!」という感じ。いつも食べているものは何なんでしょうね?下手においしいものを食べてしまうと他のものが食べられなくなりそうです。

 アブラムの宿への連絡は電話で 0577-72-4219 です。インターネットでは予約できません。メールはありますが。

 女房も大いに気に入り、子どもたちも宿の中ではしゃげまわれて大喜びのアブラムの宿でした。今度帰国してきたらまたお邪魔しようと思います。

 またセミナーなどに使える大きなホールもありますから、その利用も考えているのですが、ネックは交通機関でしょうか。名古屋方面からだと車なら東海北陸自動車道、電車なら高山本線の特急で飛騨古川か高山まで来れば良いのですが、東京方面からとなると、鉄道だと名古屋まで新幹線で来てから乗り換えないといけません。うーむ。

 お昼過ぎに大郷先生に別れを告げて飛騨高山に向かいます。飛騨高山は言わずと知れた小京都と呼ばれる観光地。5月5日のこの日も祭りが行われており、町の中心は車がびっしりでした。

 陣屋や古い街並みなどがある地域とは少しはなれた有料駐車場に車を入れて、散策に出かけます。長男は車の中で寝付いてしまったので、既に高山には何度か来ているおばあちゃんと車の中でお留守番。

 飛騨高山の古い街並み保存地域は整備も行き届き、観光客がいっぱい。外国人の姿も多く見られます。実際に8割以上の家には人が住んでいるそうですが、ほとんどの家は土産物屋やレストランなどになっています。この辺りはイタリアのベネチアなんかと似た感じでしょうか。雰囲気はよいのですが、ただ古い街並みが残っているのは数本の通りだけで、町ごと昔のままというベネチアなどにはちょっと負けるかなあ。お店をあまり覗かずに散策するだけだと、すぐ通り過ぎてしまいます。

 陣屋は時間がなくてパス。また陣屋の前や川沿いで毎日開かれるという市は午前中だけということで見られず。この点はちょっと残念ですね。市はいつどこで見ても楽しいものですから。


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